逃げる韓玄が魏延をまくために靴の方向を逆にして脱ぎ置く。
現在は普通の民家が立ち並ぶ細い路地。
「南倒脱靴巷」という地名が残る。
「南倒脱靴」を説明した石碑。
ちょこっと解説
関羽が長沙に侵攻、太守韓玄は黄忠を派して交戦するが、黄忠の消極的な態度を見て激怒、黄忠を処刑しようとする。それを見た黄忠の部将魏延は、逆に韓玄を殺そうと追いかけまわす。韓玄は場内を逃げまわり、途中魏延をまこうとする。自分の靴を脱いで南の方へ向け、自らは北の方へ逃げる。しかし、魏延はそれを見破り、最後には韓玄に追いつき刺したとされる。また、もう片方の靴は西倒脱靴となったが、こちらの方は残っていない。
探訪後記
魏延が韓玄を追いかけ回したという民間伝承で地名までついてしまっている。まあ、それほど三国演義の影響は強かったということか。現在は黄興南路の繁華街から少し外れた場所なのだが、やはり当時の城内にあったからなのだろう。近年立てられた石碑があるのだが、その上には布団がかけられていた。石碑をちゃんと見たいので、周辺にいた人民に聞いてみると「布団をどけて、終わったら元に戻しておいて」との答え。まあ、おおらかというか。無事に石碑も見ることができた。
関連遺址
魏延刺韓玄処
[ 长沙 ]
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