伏魔大将軍張飛の像。左は張苞、右は馬斉。
長寿桓侯宮の外観。大きくはない。
桓侯宮の山門。なかなか立派な造りとなっている。
雲陽の張桓侯廟を彷彿とさせるような外観。
文物碑: 2009年12月15日公布 重慶市文物保護単位「長寿桓侯宮」
内部には桃園結義の画も描かれていた。
基本情報
【訪問時期】2014年8月11日
【関連人物】張飛
【文物保護】2009年12月15日公布 重慶市文物保護単位「長寿桓侯宮」
ちょこっと解説
 長寿桓侯宮は張飛廟、桓侯廟とも呼ばれている。宋大観年間(西暦1107-1110年)の創建で、もとは長寿城の西(現在の濱江路)にあった。明正統元年(西暦1436年)に、長寿知県の何聡によって現在の不語灘へ遷された。山門には桓侯宮の三文字が刻まれ、蜀漢正統の横聯もある。正殿には威震巴江の横聯が掲げられ、内部には伏魔大将軍張飛の座像があり、その両脇には張苞と馬斉の立像がある。正殿の後ろにはもともと玉皇楼があり、劉関張の桃園結義を記念して劉備、関羽、張飛の像もあったとされる。劉備が蜀を奪うため劉璋を攻め、張飛の率いる軍勢は巴郡(現在の重慶市)を守る厳顔を攻め込む前に、枳県(現在の重慶市涪陵区、長寿区)のここで駐屯し、準備を整えたと言われている。
探訪後記
 2014年の三国志遺跡探訪一発目は重慶の張飛廟だ。今回訪れるのは超有名な雲陽の方ではなく、日本では全く知られていないであろう長寿の張飛廟だ。まあ、巴蜀には張飛廟がいくつもあったのだが、現在に至るまで残されているところは少ない。部分的に残っているところはいくつかあるようだが。
 重慶から始発の動車組で長寿へ向かう。40分ほどで到着する。生憎の雨だ。新しくできた長寿北火車站は、部分的に冠水していた。まあ、それはどうでもいい。さっそく長寿桓侯宮へ向かうことにした。滞在時間は約3時間、時間もないのでタクシーで。運転手は白塔村は知っているものの、そこに桓侯宮があることを知らない。まあ、それはいつものこと。とにかく近くへ行かないと情報が得られないからね。白塔村に近づくと、車窓から河沿いにそれらしい建物が見えた。「ほら、あそこ。あれだよ、きっと」と運転手に告げる。運転手は信じていないような顔をして車を進める。そして到着。う~ん、規模は小さいようだが、なかなかいい感じじゃない。正門の方へ進むが、やっぱりというか施錠されている。ここまで来て中に入られないのは辛い。後ろの方に回ると、そこにも扉があるのだが施錠されている。でも扉には携帯番号が書かれている。張道長、どうやらここは道士さんが管理しているようだ。電話してみる。なかなかでないが、やっと出た。「張道長、中へ入れてくれ」と言うと、しばらくして頭上から声がする。ああ、中にいたのか。さっそく中へ入れて貰い、伏魔大将軍張飛像を拝ませて貰った。張道長は親切で、いろいろと説明してくれた。もしかしたら、おらより若いかも。写真もドンドコと撮らせて貰い、お腹一杯。道士さんは親切な人が多いので、どこへ行っても嫌な思いをすることがないなあ。
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位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】重慶市
【 タグ 】張飛
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年11月19日 19:20
【更新日時】2018年7月8日 23:03
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