土山関帝廟の廟門。
土山関帝廟の関帝像。
関羽に対して曹軍に降るように説得する張遼。
春秋を読む関羽の像。
青龍刀を携える関羽像。
青龍刀を研いだとされる石。
関羽の夫人と思われる像。
関興とその妻の像。
関三小姐と思われる像。
文物碑: 2006年6月5日公布 江蘇省級文物保護単位「土山関帝廟」
土山鎮にある関羽像。
土山鎮にある桃園結義像。
ちょこっと解説
三国演義、第二十五回「屯土山関公約三事、救白馬曹操解重圍」で、関羽が張遼に説かれて曹操に降った場所とされる。土山関帝廟、明天順三年(西暦1460年)の創建。その後、明崇禎、清雍正、清道光、民国に4回の大規模な修復が行われた。馬蹄印、磨刀石、拴馬桩、張遼跪印なども残されている。現在の建物は2006年に再建竣工したもの。
探訪後記
三国志遺跡は好きでも、関帝廟へはあまり行かない。でもここはちゃんとした故事がある場所なので訪れてみた。そう、関羽が曹操へ降った場所である。基本的な造りは他の関帝廟とだいたい同じ。ただ規模が大きいので関羽の他にもいろいろと像が祀られている。そして張遼とともに茶をしばく関羽の像も。後ろの山には張遼の跪いた跡が残る石だの、関羽が青龍刀を磨いだ石だのがある。どうみても本物には見えないのだけれども。まあ、こんなものか。関帝廟を見終わった後、土山鎮の中を歩いて行くと、ここにも大きな関羽像が。写真を撮っていると「外地人だよ。」と聞こえてくる。そら地元の人は写真も撮らないだろうけどさ、外地人も写真を撮らなかったら、この像を立てた意味がないでしょう。更に歩くと桃園結議の像もあったり。これだけ投資している割りには観光客がいないような。まさか関帝廟が倒産して、入られなくなるってことはないよね。
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