張王廟前面。
張王廟の門楣は「張王古廟」となっている。
張王廟内部。「桃園結義」の扁額など。
張王廟内の張飛像。右は張苞、左は厳顔か。
基本情報
ちょこっと解説
この地に住む張姓の人々約1000人は、みな張飛の末裔と称しているが、その由来などは詳しくわかっていない。張王廟もいつの創建かはわかっていないが、清光緒二十六年(西暦1900年)に再建されている。廟内には張飛像、その両側には張苞と厳顔の像が祭られており、門前の柱には「長阪顯英名勒馬横矛凛凛鬚眉欽百代、四川為土谷忠君護国巍巍功德頌千秋」の對聯が刻まれている。
探訪後記
中山に武侯廟があるという情報を見つけて以来、広東省でまだ何かないかと調べていたら、張飛廟もあるとの情報を見つけた。そしてその村の住民は張飛の末裔なのだとか。まあ、姓が同じなら末裔を名乗ることも珍しくないのだけれども、廟まであるのなら一度は行ってみようと思い、訪れた。台山にあるのだが、どちらかと言えば北側にある開平からの方が行きやすいようだ。おらは台山から簕冲へ行くバスに乗ったのだが、このバスはかなり本数が少ないので、かなり待つことになってしまった。実際には台山と開平を結ぶバスも芦霞を通過するので、そちらのバスを利用した方がいいのかもしれない。
そして、張飛廟に到着。実際には張王廟と呼ばれているようだ。中にはしっかりと虎髭の張飛像が祭られている。管理人のおっさんが話しかけてきたが、来た目的を告げると黙ってしまった。どうやら管理人のおっさんは寄付をしてもらうのが目当てで、そうでないとわかるとどうでもいいらしい。地元のばあさんたちがお参りに来ていてもあまり気にも留めていない様子だった。まあ、雇われ管理人らしいから、寄付を貰って生活しているんだろう。
そして、張飛廟に到着。実際には張王廟と呼ばれているようだ。中にはしっかりと虎髭の張飛像が祭られている。管理人のおっさんが話しかけてきたが、来た目的を告げると黙ってしまった。どうやら管理人のおっさんは寄付をしてもらうのが目当てで、そうでないとわかるとどうでもいいらしい。地元のばあさんたちがお参りに来ていてもあまり気にも留めていない様子だった。まあ、雇われ管理人らしいから、寄付を貰って生活しているんだろう。
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