界石山山上の呉主廟。
呉主廟主殿の入口。廟は近年再建されたもの。
呉主孫権とその臣下たちの像が並ぶ。
中央は孫権。左は周瑜、右は張昭。
左から徐盛、陸遜、諸葛瑾。
左から魯粛、呂蒙、丁奉。
基本情報
ちょこっと解説
界石呉主廟、界石山の山上に位置する。明洪武八年(西暦1635年)の創建で、呉王行祠や呉王廟とも称される。清咸豊年間に兵火で消失するが、清同治年間に再建。現在の廟は1993年に再建されたものである。廟内には孫権や呉の臣下の像が並んでいる。界石山は呉と蜀が隣接する場所に近く、当時は孫権や陸遜がここを訪れていたとされる。
探訪後記
陸渓から歩いて行くのだが、けっこうな距離があった。長江に注ぐ支流の近くに廟はあった。この支流を渡った向かいは赤壁古戦場がある赤壁鎮。渡し舟はあるようだが、橋は架けられていない。界石山に登って廟に到達。中には道士さんがいた。中を見せてもらうと、いろいろと説明してくれる。やはり道士さんは優しいな。
余談だが、この支流は赤壁市の陸遜湖から続いている。橋がかかれば赤壁鎮からもすぐの距離なのに。近年、橋は架けられたのだが開通していない。現在、武漢から赤壁古戦場へ行くには赤壁市内を経由するのだが、橋が開通してしまうと嘉魚県を通って行けてしまう。赤壁市はそれが許せないらしく、いろいろな理由をつけては橋の開通を許可していないらしい。まあ、大人の事情なんやね。
余談だが、この支流は赤壁市の陸遜湖から続いている。橋がかかれば赤壁鎮からもすぐの距離なのに。近年、橋は架けられたのだが開通していない。現在、武漢から赤壁古戦場へ行くには赤壁市内を経由するのだが、橋が開通してしまうと嘉魚県を通って行けてしまう。赤壁市はそれが許せないらしく、いろいろな理由をつけては橋の開通を許可していないらしい。まあ、大人の事情なんやね。
位置情報
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