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湘橋華佗廟前面。
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湘橋華佗廟の扁額と提灯。
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湘橋華佗廟内部。
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湘橋華佗廟の華佗像。
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湘橋華佗廟の屋根上。
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基本情報
ちょこっと解説
湘橋華佗廟、または仙祖庵とよばれ、福建省で唯一の華佗廟である。「仙方妙著」の扁額は、清嘉慶二十二年(西暦1817年)厦門水師提督王得禄によるもの。言い伝えでは、王得禄は幼いころに母を亡くし、伯母によって育てられた。厦門に赴任したときには、伯母も携えて来たが、その伯母が病に倒れる。王得禄は名医を訪ね歩いたが、伯母の病は治らなかった。その後、湘橋の華元仙祖の薬はよく効くと聞きつけ、華元仙祖のもとを訪れる。その薬はよく効き、伯母は瞬く間に快方したとされる。そして仙祖庵は、華佗仙祖庵として参られるようになる。文革によって破壊されたが、2010年になって村の黄氏によって修復再建された。
探訪後記
福建省に華佗廟があるのは、ちょっと不思議が感じがする。名医として扱われる華佗が、後代の名医に代わって祭られたようだ。華佗廟内には「忠孝廉節」と大きく書かれており、なんだか違う廟のような感じもする。肝心の華佗像もなんだか違う人物のような感じだ。まあ、地元の人達が華佗廟として大事にしているのだから、それはそれでいいか。それにしても豪華絢爛な廟だな。
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