黄陵廟武侯祠の前面。規模は小さい。
そして中には孔明像もない。以前はあったらしいが。
諸葛亮が撰書したとされる漢碑「黄牛廟碑」。
黄陵廟の山門は立派だ。
基本情報
ちょこっと解説
黄陵廟、もとは黄牛祠、黄牛廟と称されていた。伝説ではこの地で禹が行う治水を神牛が助けたことを記念するために、春秋時代に創建されたと言われている。現存しているのは、明万暦四十六年(西暦1618年)に再建された禹王廟や武侯祠など。
黄陵廟武侯祠、言い伝えでは諸葛亮が入蜀時にここを通過、黄陵廟を修復したことがあるとされる。後世に諸葛亮を記念して、この場所に武侯祠を建立したとされ、傍らには諸葛亮が撰書したとされる漢碑「黄牛廟碑」が保存されている。
黄陵廟武侯祠、言い伝えでは諸葛亮が入蜀時にここを通過、黄陵廟を修復したことがあるとされる。後世に諸葛亮を記念して、この場所に武侯祠を建立したとされ、傍らには諸葛亮が撰書したとされる漢碑「黄牛廟碑」が保存されている。
探訪後記
こんなところにも武侯祠があるなんて。ワクワクしながら向かう。夜明珠から三峡大壩8路専線バスに乗る。このバスは市バス8路とは関係ない。聞いた話では、三峡ダム自体の地位は宜昌市より上で、普通の市バスを走らせていくことができないそうだ。バスは三峡高速を走り、三峡ダムの方へ向かっていく。高速を降り、途中三峡ダムを船に乗って観光できる施設に停車、その後西陵長江大橋を渡る。大橋を渡って停まった場所でバスを降り、そこからバイタクで向かうことにした。実はそのまま乗っていれば三斗坪鎮まで行けたらしいのだが。黄陵廟に入るといろいろな建物があるのだが、武侯祠以外はどうでもいい。さっそく行ってみる。あったぞ。そして中に入ると…。おい、孔明像がないじゃないか。壁には諸葛亮に関係する場面の画が描かれているのだが、武侯祠に孔明像がなくてどないすんねん。やる気あるんか、こら。しかも、武侯祠の裏にある武聖殿には関羽像らしきものがある。なんでやねん、そんなに山西夫子が大事なんかい、赤ら顔を拝んだら金が儲かるんかい。儲けた金で孔明像を作ったりや、こら。久々に腹の立つ場所で終わるかと思われた。しかし、ここには一通の漢碑が残されており、「仆躬耕南陽之亩、遂蒙劉氏顧草廬」から始まるその碑文は孔明自らの文章と言われているのだ。まあ、真偽のほどはわからないが、この碑を見られるだけでも価値はあるだろう。
帰りのバスはどこから乗るんかいな。バイタクは高いから、どっかバスに乗られる場所へ歩いて行きたいけど。フラフラと歩いて西陵大橋へ続く道まで来た。そこには検問所があり、武警が立っている。ここを通らないで回り道するとまた山道を通らないとダメだしなあ。とにかく武警と話してみる。すると武警の兄ちゃんは「あゝ、そのバスならここを通るから、待っているといいよ」と教えてくれた。さらに停まっていた乗用車に声をかけて「あの車が宜昌の街まで戻るから、乗せてくれるように言ったよ」と。なんて優しいんだ。中国では武警が一番真面目で親切だと思うよ。他所でも何度か助けて貰ったし。でも車に乗ろうとしたとき、ちょうどバスが来たのでそっちに乗ることにした。人民の車に乗って、なんだかんだと聞かれると答えるのが面倒だからさ。
帰りのバスはどこから乗るんかいな。バイタクは高いから、どっかバスに乗られる場所へ歩いて行きたいけど。フラフラと歩いて西陵大橋へ続く道まで来た。そこには検問所があり、武警が立っている。ここを通らないで回り道するとまた山道を通らないとダメだしなあ。とにかく武警と話してみる。すると武警の兄ちゃんは「あゝ、そのバスならここを通るから、待っているといいよ」と教えてくれた。さらに停まっていた乗用車に声をかけて「あの車が宜昌の街まで戻るから、乗せてくれるように言ったよ」と。なんて優しいんだ。中国では武警が一番真面目で親切だと思うよ。他所でも何度か助けて貰ったし。でも車に乗ろうとしたとき、ちょうどバスが来たのでそっちに乗ることにした。人民の車に乗って、なんだかんだと聞かれると答えるのが面倒だからさ。
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