魯墅諸葛村の入口。「諸葛八陣図村落」の石碑。その奥には孔明像も。
「八陣図魯墅村」の牌坊や、「武侯亭」の石亭なども。
諸葛亮像と、この場所へ遷ってきた始祖第三十二代後裔諸葛維賢の像。
村入口の傍らに置かれた「諸葛」の旗が刻まれた石。
村近くで第三十二代後裔である諸葛維賢の墓穴を示す石碑が発見されている。
小魯墅の南側、村の墓地には諸葛維賢以後の諸葛氏が埋葬されている。
諸葛維賢が、孔明の八陣図の一つ「虎翼陣」をもとに水路を巡らせた。
魯墅村の規模は、非常に小さい。しかし、孔明の末裔たちが今も暮らしている。
ちょこっと解説
魯墅諸葛村、ここも諸葛亮の後裔たちが暮らす村である。雲墅から発見された謹慎堂「諸葛氏宗譜」には、諸葛亮が始祖とされ、その孫の諸葛京の血筋とし、唐宣宗大中元年に第二十六代後裔諸葛翔が兵禍を逃れるため、一族を引き連れて雲陽(現在の丹陽)に移り住む。そして第三十二代後裔である宋進士諸葛維賢が、宋朝滅亡後に元朝への出仕を拒み、ここ魯墅へ移って隠居する。その後も子孫は繁栄し、大魯墅、小魯墅、前雲墅、中雲墅、后雲墅、南陽、前笪、后庄の8つの村を形成していく。それぞれの村には孔明の八陣図をもとに水路が掘られ、村を護る堀となった。魯墅の「魯」は、孔明の生まれた山東省の古称から来ている。
探訪後記
ここ金壇にも孔明の子孫が暮らす村があるということで、訪れてみた。村の入口には、孔明の像はもちろんのこと、牌坊や武侯亭などが置かれていて、それらしい雰囲気を出している。ここも諸葛村として観光地にしたいようだ。ただ、肝心の村はかなり小さい。村に入ってしばらく歩いていくと、ここの諸葛氏の墓地にたどり着いた。ここから、この村を造った諸葛亮の第三十二代後裔である諸葛維賢の墓穴を示す元代の石碑が出土したそうだ。その周辺には、その諸葛氏子孫たちの墓がいくつも並んでいた。今後は、諸葛氏宗祠「謹慎堂」なども修復していくのだとか。
村から出ようとしたとき、後ろから来た車に呼び止められた。「どこへ行くんだ」と聞かれ、「バスターミナルまで戻る」と答えた。すると「送っていくよ」と言ってくれた。しかし、戻る途中にもうちょっと見てみたいものもあったので断った。この村の人だと言っていたので、諸葛さんだったんだろうな。
村から出ようとしたとき、後ろから来た車に呼び止められた。「どこへ行くんだ」と聞かれ、「バスターミナルまで戻る」と答えた。すると「送っていくよ」と言ってくれた。しかし、戻る途中にもうちょっと見てみたいものもあったので断った。この村の人だと言っていたので、諸葛さんだったんだろうな。
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