里諸村の諸葛宗祠内。「武侯世家」の扁額が孔明の血筋を表している。
諸葛宗祠内に祭られた、諸葛孔明の像。
諸葛宗祠内部の対聯ももちろん孔明に関する内容ばかり。
壁に写された南陽諸葛氏の系譜。村にはただ1冊の系譜が残るのみ。
諸葛宗祠の大門。村では大堂や武侯祠とも呼ばれている。
ちょこっと解説
唐朝滅亡後、中原は戦火が絶えなかった。諸葛亮の第十四代後裔である諸葛浰と諸葛深の兄弟は、兵乱から逃れるために南遷する。諸葛浰は浙江省に入り、諸葛深は福建省へと進んだ。そして諸葛浰の子である諸葛青は、寿邑儒学教諭として、現在の里諸村に居を構えている。そして諸葛青の第七子諸葛承敏が里諸村を受け継ぎ、現在に到る。村内の諸葛宗祠は、以前武侯祠であった。その創建年代はわかっていないが、諸葛後裔第二十三代続修の「南陽諸葛宗譜」には、すでに記録がある。
探訪後記
里諸諸葛村、浙江諸葛氏の源流に近い村だ。諸葛亮の第十四代後裔である諸葛浰が寿昌へ遷ってきて、その子である諸葛青が定住を始めた村だそうだ。その子孫たちが更に南の方へ移住していき、蘭渓の諸葛村が形成されて言ったということだ。今回は、建徳から寿昌まで移動し、そこから車で村へ向かった。運転手のオバちゃんも村のことを知っていたので、行くにはそんなに苦労しないだろう。山間の小さな村で、古い建物などはほとんどないのだが、村の中心部に諸葛宗祠がある。扉の隙間から中を覗いて見ると、孔明の像が見えた。せっかくここまで来たのだから、中へ入って見てみたい。近くにいた村民に「中を見たいのだけど」と言うと、すぐに鍵を持っている管理人の家まで行ってくれた。まあ、宗祠のすぐ前の家だったのだが。中に入るとやはり諸葛分がたっぷり。どこへ行っても「どうしてこんな場所を知っているんだい」と聞かれる。「ネットで見たんだよ」と答えるとだいたい納得してもらえる。まあ、けっこう地元新聞社が取材した記事が載っているからね。
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