石鼓書院は唐元和五年(西暦810年)の創建。
石鼓書院内にある武侯祠の入口。
石鼓書院武侯祠内部。規模は小さい。
石鼓書院武侯祠の孔明像。
武侯祠前には大きな石鼓が置かれている。
基本情報
ちょこっと解説
漢建安十三年(西暦208年)、荆州牧を務める劉備は、軍師中郎将諸葛亮を臨烝(現在の湖南省衡陽市)に留め、長沙、零陵、桂陽の三郡の軍賦を監督させた。その時に諸葛亮が居住した場所が石鼓山上だったとされる。後に臨烝驛の傍らに武侯祠が建造され、宋代になって石鼓書院が再建されると、武侯祠も石鼓山へ移された。1944年7月、旧日本軍の砲撃により石鼓書院は破壊された。現在の石鼓書院は、2008年に再建されたもの。石鼓書院武侯祠も同じく再建された。
探訪後記
岳陽から列車に乗って衡陽に移動したのだが、列車が遅れた。本来なら3時間あったはずの滞在時間が、2時間弱になってしまった。石鼓書院は火車站からそれほど遠くないものの、2時間弱ではちょっと心許ない。仕方ないので行きはタクシーに乗ることにした。タクシーは突っ走って15分ほどで到着。これなら30分は見学できるな。石鼓書院はそれほど大きくない。書院に入ると大きな石鼓が目に入る。そのすぐ後ろが武侯祠だった。規模的には以前訪れた黄陵廟武侯祠と同じくらいだろうか。黄陵廟武侯祠には孔明像がなく、ガッカリさせられたのだが、ここには立派な金ピカ孔明像が祀られていた。やはり武侯祠なのだから孔明像は必須だよな。さてとお目当てのものは見たし、さっさと火車站まで戻ろう。すぐ近くのバス停からバスに乗れば火車站まで戻られる。しかし、衡陽のバス料金は2元。財布の中に小銭は1元。乗られないじゃん。仕方ないので近くの売店で飲み物を買って、小銭を用意する。面倒くさいな。バスは市内をぐるっと回って火車站に到着。往復このバスに乗っていたら、間に合わなかっただろうな。そして、なんとか次の列車に乗り込み、耒陽へ向かったのであった。
位置情報
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