木門道古戦場側、小高い山の上にある武侯祠。
大門を入ると木門道と刻まれた石碑。
主殿はもちろん孔明を祭る静遠堂。
静遠堂内部。諸葛亮、諸葛瞻、諸葛尚の像が並ぶ。
もちろん武臣像が並んでいる。
反対側は文官像が並んでいる。
后殿は昭烈殿。もちろん漢昭烈帝劉備のこと。
昭烈殿内部。劉備、関羽、張飛の像が並んでいる。
基本情報
ちょこっと解説
木門道武侯祠、牡丹郷(現牡丹鎮)政府が1996年9月に立てた重修木門道武侯祠碑記には、「明洪武年間に建設され、清順治十一年(西暦1654年)六月の地震で崩壊」と書かれている。しかし、元は爺寺などと呼ばれていたようで武侯祠でなかった可能性が高い。1996年になって村人達が木門道武侯祠の建設を始めるが、資金不足などの問題で中断している。2002年になり、天水市文化局などの協力を得て建設を再開、竣工している。木門道武侯祠内には、古典文学研究家の霍松林の書による「木門道」の石碑、武将廊(蜀武将10名)、文臣廊(蜀文臣10名)、そして諸葛亮と諸葛瞻、諸葛尚を祀った静遠堂、その後方には劉備、関羽、張飛を祀った昭烈殿が建ち並んでいる。
探訪後記
やっとの思いでたどり着いた木門道武侯祠。しかし、しっかりと施錠されていて中に入られない。せっかくここまで来たのにどうしよう。とにかく近くの村へ行って、管理人を探してみることにした。何人かの人民に聞いて、近くの小さな商店へ行く。中へ入って聞いてみると、電話して管理人を呼んでくれた。これで中を見ることができるぞ。さて、管理人の人民じいちゃん登場。木門道武侯祠まで歩く。中へ入ると「木門道」の石碑がある。この文字を書いた霍松林という人物は、かなり有名な三国遺跡研究家だとか。そして武将廊と文臣廊、正面には諸葛亮が祀られた静遠堂。かなり立派な武侯祠となっていて、五大武侯祠にも劣らない内容だ。う~ん、かなり満足。地元人民達の思いが詰まっているよな。人民じいちゃん曰く「日本人は前にも来たぞ。皆、年寄りばかりだったが三国志が好きなようだな」とのこと。「若いのは一人来ただけだったな」とも。けっこう日本人が訪れている場所なんだね。場所的には、車をチャーターしないと来るのは大変だ。私みたいにバスと徒歩だけなのは珍しいらしい。5km歩いて来て、ここからまた9km歩く。でも天水は乾燥していて、日が出ていないと涼しいんだよね。歩くには助かるよ。
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