大殿内部。もちろん並ぶのは劉備、関羽、張飛の像である。
劉備像。田舎の廟にしては、よい出来である。
劉備像向かって右側は関羽像。
劉備像向かって右側は張飛像。
桃園三義廟の来歴が書かれている。中央に填められた石碑は清乾隆年間のもの。
大殿はそれほど大きくない。現在はおじいさん独りで管理しているようだ。
文革によって破壊されたが、近年再建されている。釣魚台とも呼ばれていたらしい。
ちょこっと解説
桃園三義廟、創建時期は不明。清乾隆年間の修復記の刻まれた石碑が残されている。近年は、建物が村にあった製鉄工場に貸し出され、その後の文化革命などもあり、荒廃している。2012年頃から再建が始まり、竣工。大殿内部には劉関張の像も祭られている。
探訪後記
ここはかなり苦戦した。ネットではちゃんと写真付きで紹介されているのだが、桃園村を探しても出てこない。盂県の地図と睨めっこ、桃園路や大桃園があるからこの近くなんだろうなと目星をつけた。
とりあえず盂県に着いて、タクシーのオバチャンに聞いてみるが、知らない。運転手が何人か集まってきたが知らない。桃園村はいったいどこにあるんだ。せっかくここまで来たので、目星をつけていた場所へ行ってみることにした。そして桃園路に入ったところで聞き込み開始。でも知っている人民がいない。清掃のオバチャンがかろうじて「あゝ、あの辺りに廟があったわよ」と言うだけ。でも手がかりはこれしかない。言われた方向へ行ってみることにした。しばらく歩くと、前方にそれらしき建物が見えてきた。そして到着、間違いなくここだ。門が閉まっている。どうにか中に入られないかと思案していると、近くの人民オヤジが「側門から入っていけ」と教えてくれた。大殿内部を見ていると、誰かが来た。ここを管理しているおじいさんだ。とても優しい人で、湯を飲んでいけと出してくれた。
とりあえず盂県に着いて、タクシーのオバチャンに聞いてみるが、知らない。運転手が何人か集まってきたが知らない。桃園村はいったいどこにあるんだ。せっかくここまで来たので、目星をつけていた場所へ行ってみることにした。そして桃園路に入ったところで聞き込み開始。でも知っている人民がいない。清掃のオバチャンがかろうじて「あゝ、あの辺りに廟があったわよ」と言うだけ。でも手がかりはこれしかない。言われた方向へ行ってみることにした。しばらく歩くと、前方にそれらしき建物が見えてきた。そして到着、間違いなくここだ。門が閉まっている。どうにか中に入られないかと思案していると、近くの人民オヤジが「側門から入っていけ」と教えてくれた。大殿内部を見ていると、誰かが来た。ここを管理しているおじいさんだ。とても優しい人で、湯を飲んでいけと出してくれた。
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